2015年5月28日

戦力外の恐怖・・・プロ野球選手の光と影・・・

男の子なら誰でも憧れるプロ野球選手。

自分が好きなスポーツを職業にすることができ、イチローのように海外で活躍できる選手は一般のサラリーマンとは比べものにならないほどの金額を稼ぐことができる、まさに夢のような職業です。

しかし、一軍のエースとして長い期間活躍できるのは選手のなかでもごく一部で、学生時代どんなにすごい選手でも故障やスランプなどで試合に出る機会がなくなる選手も数多くいます。そうなると、職業としては不安定な時期が続き精神的なストレスも相当なものです。

それを支える家族も活躍できる時期は周りからも羨ましがられるものの、ダメになると途端に陰口や嫌味を言われることだってあります。そんな良いことばかりではない野球選手で光と影が付き物です。

テレビ番組などでも以前活躍していた野球選手のその後を追うドキュメンタリーなどがありますが、それを見ると誰もが虚しさを感じるはずです。

最高潮の時に結婚し、すぐに怪我や負傷から二軍落ち、そして球団からの戦力外通告・・・当然たくさん収入がある時期に結婚をしているのですから、それに合わせて豪華な暮らしを楽しんでいたはずです。それが急に収入が半分以下、そして無職になるなんて誰も想像できないのです。本来は、浮き沈みが激しく稼げる時期は短いと考えておかなくてはならないのですが、いざたくさんのお金を手にすると、それがなくなるなんて考えられないようです。

野球選手としての仕事がなくなった旦那さんを奥さんが献身的に支える場合もありますが、金の切れ目が縁の切れ目なのか離婚する夫婦も少なくありません。プロ野球選手になるくらい野球に打ち込んできた人は、勉強も遊びも犠牲にしてきた人が多く、野球以外何もできないという人が多いようです。ですから、無職にになってもできる仕事がなく今までスターだった人が人の下で働くことも難しいようで、前年度の収入によって決まる所得税が払えない人もいるようです。

このように考えると戦力外の恐怖に常にさらされ精神的にも大変な職業だということが分かります。だからこそ、その厳しい環境で活躍できるスター選手に多くの人たちが憧れを抱くのかもしれません。

美男子に生まれて得すること、損すること・・・

美男子に生まれたらどんなに人生が楽しく、得が多いのだろうと考えたことがあります。しかし、美男子に生まれたからと言って得することばかりではなく、損することだってあるようです。

美男子は当然女子にモテます。バレンタインデーにはたくさんのチョコレートを貰い、自分が行動しなくても周りには常に女の子がいるのです。小学生のころから先生からの扱いもかなり違うもので、他の子に比べて怒られる回数も少なく、ひいきされていると感じることが多いようです。先生も人間ですから、やはりキレイな顔の男の子には怖い自分を見せたくないのでしょう。

そして、極めつけは彼女が絶えることがないということ。自分から誘わなくても告白されることが多いので、気に入った子がいれば付き合って、飽きたら分かれる・・・そんな繰り返しで常に付き合いたいと狙っている女の子が待機している状態。特に年上からの誘いが多く、可愛がってもらえるの本当に得です。

意外なことにバイトや就職の面接も見た目が良いと得をするのです!実力さえあれば外見なんて関係ないと表向きは言いますが、実際は美男子を取りたいはずで特に面接官が女性の場合は合格率がかなり上がります。人と接する仕事の場合は、特にそのお店や会社のイメージにかかわるので、当然ブサイクよりは美男子が選ばれるはずです。

このように生きていくうえで美男子というのはかなりの武器になります!しかし、それが邪魔をすることだってあるのです・・・

例えば、本当に好きな子ができてもいつも女の子に囲まれているので、なかなか気持ちを使えることができずに終わります。美男子なりのプライドもあり、いつも相手から来てくれるので、自分から告白するということができないのです。ですから、たくさんの女性と付き合えても本命とは付き合えない悲しい現実・・・

それと、男友達ができない!上辺だけの付き合いで、本当の友達ができないのがつらいところ。それも、いつも女の子にチヤホヤされているのが原因です男って意外と同棲に嫉妬するもので、自分よりもモテる奴とつるむのは嫌なのです。ですから、本心で悩みを語りあったり困ったときに助け合えるような友人はできにくいのです。

でもやっぱりキレイになりたい!そう思う男性が最初に行うのが髭の脱毛!
ひげ脱毛松本!

このように見てみると、美男子に生まれると本当に好きな人とは付き合えない、本当の友達はできない!なんて悲しすぎますよね・・・もちろん美男子すべてがそうではないのですが、環境がその人を孤独にさせることだってあるのかもしれません。

映画俳優になるためにひつような要素を考えてみました!

芸能人に憧れる人は多いと思いますが、実際に売れるようになるのはごくわずかな運と実力を兼ね揃えた人たちだけなのかもしれません。

芸能人になったきっかけを聞くと、大抵の人は偶然の出会いや間違いによって引き寄せられた運命のような話をします。最初は違う仕事をしていたけれど、たまたま出会った・・・みたいな信じられない話を聞くと、やはり芸能人として輝く人はそれを見出すことができる人との運命的な出会いが大きいと思うのです。

特に映画俳優になりたいと努力をしている人はたくさんいて、小さな劇団で年十年もコツコツ芝居をやりながらオーディションを受けまくる人もいます。夢を置きかけても映画俳優になれるのは俳優の中でもほんの一握り!国際的な映画俳優となるともっと少ないはずです。

それでも映画俳優になりたいという人は多く、実力も体力も顔もスタイルもすべて兼ね揃えているにも関わらず、陽の目を見ることなく終わる人の方が多いはずです・・・となると、映画俳優になるたまにはどのような要素が必要なのでしょうか?

実際の人気映画俳優を思い浮かべてみると、演技力はもちろん個性が光る人が多いと思いませんか?ハンサムでスタイルが良い人はいくらでもいますが、この役はこの人でなくてはならない!という代わりの人がいないような外見だけではなく人間性や演技が必要なのかもしれません。

もちろん、映画俳優は美しい顔の人が多いのですが、誰かと同じではないその人らしさや誰にも真似ができない何かを持った人たちではないでしょうか?そして、それを生かせる場を得ることができた幸運な人だけが映画俳優になれるのではないでしょうか?

それに加えて映画俳優は頭の回転が良くなくてはなりません。

高い学歴が必要なわけではありませんが、自分が求められていることを理解し表現することはとても難しく、表現力だけではなく理解力まで必要になります。また、記者やテレビ出演の際には映画について聞かれることが多いので、それをしっかり伝えることも大切です。

世界で活躍するためには語学力が必要で、それをコツコツ学べる努力家の人も多いようです。自分がどうありたいのか、これからどうなりたいのかをしっかり考え、それには何が必要なのかを考える力がないと、映画俳優にはなれないのかもしれません。

2014年9月12日

そして私は医師になりました・・・

2年間の予備校生活の末、私はようやく大学に入学することができました。
そりゃー、誰だって東京大学や慶応の医学部といった超名門大学に行きたいと思うけど、ボクの頭ではやっぱりムリでした。

私が選んだのは地方の国立大学でした。
とにかく、どんな大学に入ろうが、医者になりたかったのです。

医師になって人々を救いたい!これが私の切なる思いでした。
私は子供の頃に大病をわずらい、このままでは余命3年とまで言われたことがあったのです。

ですが、

そんな私を救ってくれたのはある医師との出会いでした。
日本で最先端の知識と技術を持ち合わせている彼のおかげで私の病気は治り、
こうして今も元気に生きていられることができるのです。

彼には心から感謝すると同時に、私の中にある思いが芽生えてきたのです。

私は彼のおかげで今もこうやって生きていることができる。
彼は今はABCクリニックというところで勤務していると聞きました。

いわゆる美容外科で働いているようです。

次い私が何かできることはないのであろうか・・・

いや、何かできることがきっとあるはずだ!

そうだ!今度は自分が医師になって困っている人を救おう!

そういう思いが芽生え始めたのです、私の中で。

以来、私は猛勉強を重ねて苦節2年。
ようやく大学の医学部に入学し、晴れて医師になることができました。

人生って本当に何があるか分からないです。ですが、最後まであきらめずに努力していれば必ず報われる、それが私の信念でもあります!

2013年10月10日

ちゃんと職業について考え始めた頃でした。大学時代

大学に入るとそれまでとは打って変わってバックグラウンドの違う

様々な人たちと出会う事が出来ました。

経済的に恵まれて、留学をくりかえす会社社長の息子さんや

奨学金とアルバイトでお金を稼ぎ、と根性でキャンパスライフを維持している同級生もいました。

英語をメインに扱う学部だったので、ハーフや帰国子女とも知り合いました。

そんな多くの人との出会いの中で

私が痛烈に感じたことは

「自分はこのままじゃだめだ」という事です。

今までのような「よくわかんない」みたいな事を言い続けていたら

あっという間に4年間が過ぎてしまって、後で後悔することになる。

いまだに将来何になりたいかはわからないけれど、できることは全部やっといたほうがいい

と思うようになりました。

今のままでは、どの会社の人も自分を選ばないだろうなという危機感も感じていました。

 

それからは意識的に自分の行動範囲を広げました。

資格もかたっぱしからトライしました。

どの職業に必要な資格かはわからないけれど、勉強を通して「向いてる」とか「こりゃだめだ」という

ような事が感じられたので収穫はあったと思います。

 

アルバイトもできる限りトライしました。

おそらく4年間で10種類以上のアルバイトを経験したと思います。

アルバイト代をためて留学、その繰り返しであっというまに4年間が過ぎたと思います。

4年間を通して、私はようやく将来につながる感覚をつかめました。

・人と接するのが好きだ

・じっとしていることは苦手だ

・パソコンは得意だ

・英語はやっぱり好きだ

・お金を扱うのは苦手だ

・体を動かすことも、大量に暗記をすることも苦にならない

この、自分の感覚と、4年間でとった資格を手に、就職活動を始めることとなりました。

「将来の職業・・・知らねーよ!」と荒れていた高校時代

高校時代も、将来の夢とは無縁の生活を送っていました。

「演劇部」に所属して、毎日それなりに楽しく高校生活を

送っていましたが、先生に将来の夢を聞かれるたびに困惑したというか

ストレスを感じていました。

 

将来の夢なんてさっぱり考えられなかった理由の一つに

「親の離婚問題」ってのがあります。

今では珍しくもなんともありませんが、当時はまだ結構めずらしく

 私の周りで、親が離婚をした子供は私だけでした。

親は自分の離婚とその後の生活の事で頭がいっぱいで

私の進路にまではとても気がまわらなかったのでしょう。

将来の進路について、真剣に話し合う事も一度もありませんでした。

将来何になりたいか?と親に尋ねられた記憶もありません。

私としては「実家から出る事のほうを望まれてるな」というような事だけを

感じ取っていました。

なので、とにかく県外の大学に進学することが第一の目標となり

なかばヤケで進路を決めたような部分があります。

高校ともなると、文系、理系にわかれた授業がはじまりますよね。

私の通っていた高校には、そのほかにも「英語系」「国公立進学系」「看護系」などという

非常に具体的なクラス編成がなされていました。

中には「親と同じく看護婦になりたい」、あるいは「警官になりたい」などと

具体的な目標をもって勉強を始める友人も出てきました。

進路指導でも、先生に具体的な希望を聞かれましたが私はとにかく県外の

大学の名前をならべてお茶をにごしていました。

うすぼんやりと「英語が得意かもしれない」という思うようになり

そちらに進路を決めました。

 

中学校に入って現実味が出て来ました(笑)

中学に入って後半になると

将来の夢がぐっと、現在の自分とつながって感じられるようになりました。

 

入学して1年くらいは、勉強よりも部活に夢中になってしまって

毎回の定期テストをこなすだけで精いっぱいだったのだけど

3年になる少し前あたりから、高校の選択がちらつきだします。

 

友達とも高校の進学について話し合う機会が増える中で

私が思ったことは

「ぼんやりしていても、皆なにがしかの考えを持っている」という事でした。

 

美容師になりたいから、本当は高校に行きたくないと言った友人もいたし、

はっきりと「英語の先生になりたいから、英語が充実している高校に行きたい」と

具体的なビジョンを語って私をびびらせる友人もいました。

だって私は、その頃相変わらず将来の夢も、なりたい職業も

なかったのですから。

皆そうだと思っていたのに、そうではなく、すでにキチンと自分の夢が

定まっている友人もちらほらいて、そのことで焦りを感じていたのを

思い出します。

そんな将来の夢を語る友人がいる傍ら、部活の勢いのまま

推薦入学を決める同級生もいて、

それはそれで「行くべき道が決まっている」ように見えてある意味

うらやましかったものです。

 

結局、私は自分の成績に見合った地元の普通高校に進学することに

決めました。が、その段階ではいまだに自分が理系か文系かということ

すらわかっていませんでした。

その頃の「将来の夢」という作文には「英語の先生」と書いていた記憶が

ありますが、そのために何か努力をしたような事は一切ありませんでした。

 

小学校時代、私がなりたかった職業

小学校時代になりたかった職業ってありますか?

私はありませんでした。

 

というか、この質問自体が大嫌いでした。

どの学年でも年に一度くらい、思い出したように

このタイトルで作文を書かされるんですよね。そのたびに急ごしらえで

将来の夢をでっちあげるのに苦労したのを覚えています。

はっきりいって、小学生のころなんて、毎日の遊びや友達の事で

頭がいっぱいで、大人になった時のことなど考えたこともありませんでした。

大人になる、ということがどういう事かもろくにわかっていなかったと思います。

低学年の頃、果物を食べたいがために「フルーツショップ」と

書いた記憶があります。フルーツショップが実はほとんど八百屋であるとか、

それ以前に、お店の人は決して売り物を食べ放題なわけではないとか、

そんなことは全然わかっていませんでした。

ただ、自分が好きな物が少しでも含まれていれば、それが夢の職業、みたいな

気楽な選び方をしていたような。。

でもそれって、今思えば子供っぽいのと同時に、職業選びの本質でもあるんですよね。

自分が好きな事と自分の仕事をつなげて考えられるというのはいいものです。

先生、というのも一つの職業なんだけれど そんな風に先生を見たこともなかったなぁ。

今思えばもっと色々先生の事も観察すればよかったなって思います。

将来の夢という質問にももっと真剣に答えてみればよかったなぁ~。

そういえば友達の黒田はそのころから「医者」と断言していたっけ。

彼は医者になったのかなぁ?

幼稚園児の頃の私の夢・・・

今からもうずいぶん昔の話になりますが、
幼稚園の頃をたまに思い出したりします。

「幼稚園の頃の記憶ってある?」

って周りの主婦の友達とかとお茶しているときなんかに話したりすることがあるのですが、
ほとんどの主婦トモは

「幼稚園の頃の記憶なんてないよ・・」

ってほとんど記憶がないみたいなんですよね。

ですが、

私はなぜか幼い頃の記憶ってものが結構鮮明だったりするんですよ。

で、

話はそれましたが、私が幼稚園児の時既に将来なりたかった夢があったんですよね・・。

何だと思いますか?

・・・

それが実は、お嫁さん!

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いつも一緒に遊んでいるタカシくんって子がいたんですけどね。

その頃は、恋だとか愛だとかって全然よく分からない頃。

ただ、理由はよく憶えていませんが、「タカシくんのお嫁さんになりたい!」

って思ったことだけは今でもはっきりと憶えているんですよね。

不思議なものですよね。